「適応障害」になり、仕事を休職し復職するも退職した話をまとめました

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適応障害」ですね。

 

2013年1月、僕は先生からそう言われた。

 

当時の僕は、これから社会人として、仕事で結果を出し立派に活躍していくんだと息巻いていました。

 

入社早々、研修も始まり同期たちと切磋琢磨しながら、会社に戻ったら研修で学んだ事をしっかりと活かしていこうと決意を胸に励んでいました。

 

会社に戻った僕は、そこからまさかこんなことになるなんて想像もしていなかった現実を見ることになりました。

 

適応障害の原因は上司との関係が上手く作れなかった

 

上司は僕の5年先輩。

性格は体育会系で仕事に対しても、礼儀に関してもビシッとしている方でした。

 

そんな上司をみた僕は、少し緊張感を持ちながら仕事ができるぐらいにしか考えていませんでした。

 

仕事の内容は、製造業でメーカーの営業をしていました。

 

会社の研修も落ち着き、3ヶ月過ぎたころから、上司と営業の同行し、販売会社の営業の人たちと販売先へ向かう日々。

 

発端はあまり覚えていませんが、仕事でミスをし、何度か叱責されたことから始まりました。

 

ミスを挽回しようとすればするほどミスをし叱責される悪循環。

 

自分の意見も言えず、自分一人で原因を探りながら、慎重に仕事をしていました。

 

ただそこから上司に対して、恐怖感を覚えるようになり、失敗は許されない。また失敗した終わりだと、ビクビクしながら仕事をするようになっていました。

 

上司としっかりとコミュニケーションを取れればよかったのですが、僕の中で恐怖感が勝り、なるべく上司と関わりを避けるようになっていました。

 

新人は怒られて当たり前だし、なんとか自分の力で乗り越えようと思ったのと、こんなことでめげちゃいけないと思い、周りに相談すればよかったんですが、誰にも相談できずにいました。

 

恐怖から会社に行くのが辛くなった

 

入社して半年を過ぎたあたりから、会社に行くのが辛く、何度も何度も休みたいと考えるようになりました。

 

休みの電話をかけようと、上司の電話番号を打ってはやめの繰り返し。打ってかけようと思っても、何を言われるからわからない恐怖からやめての繰り返し。

 

気付いたら出勤しなきゃいけない時間。重い腰を上げて通勤していました。

 

会社に着いても、怒られないように怒られないようにする日々。

 

同期は、一人で営業に行くようになっていました。同期との距離も少しづつ離れた気がしました。

 

そんな時に、同期の一人が転職するとのことで退職。

上司は、「甘いしふざけている」と話をしていました。

 

それを聞いた僕は、休むのも会社を辞める選択することはできないんだと感じました。

 

同期が退職したことで、それ以上に細かく上司から叱責されるようになりました。

 

上司と二人での同行営業は、コミュニケーションを取ろうと必死でした。

 

上司から「つまらないし、質問の仕方が悪い」と言われて、辛かったですが、なんとか耐えながら続けていました。

 

今は我慢してもっともっと頑張れば報われると思って仕事をしていました。

 

適応障害の症状が少しづつ出てきた

 

適応障害というのは、

日常生活の中で、何かのストレスが原因となって心身のバランスが崩れて社会生活に支障が表れたものです。原因が明確でそれに対して過剰な反応が起こった状態をいいます。日常的なことの中で起こった出来事や環境に対してうまく対処できず、心身に様々な症状が現れて社会生活に支障をきたす障害を言います。

 

その適応障害の症状は、様々ですが、

ゆううつ、不安感、不眠症、頭痛、不眠など、仕事や学業などを続けたり、対人関係や社会生活を続けることに問題のある状態となります。これらの症状は一般的には正常な人にも表れる症状ですが、適応障害の場合はそれを超えた過敏な状態となります。

引用:厚生労働省 生活習慣病予防のための健康情報サイト e-ヘルスネット

 

僕が最初に出た症状は、両手の湿疹でした。

 

上司との同行営業をすると必ず、両手に大量を汗をかき、痒くなっていました。

 

緊張しているし、営業が終わると収まっていたのであまり気にも留めていませんでした。

 

ただこの時から少しづつ、仕事に行く前には頭が痛くなったり、涙が出たり、夜は次の日の仕事を考えると、涙が出て寝れなくなったりと、ゆううつな気分が続いていました。

 

そして一人なった時に、いろいろ頭の中を駆け巡り、自然と涙を流していました。

 

今思い出すだけでも辛かった記憶がよみがえります。

 

後にこれが「適応障害」の症状だと知りました。

 

 

年末年始休暇から変わろうと思ったが仕事に行けなくなった

 

年末の挨拶も落ち着き、会社の大掃除を終え、休暇に入りました。

 

休暇では、仕事のことは忘れて過ごしていました。

 

しっかりと休んで、「リフレッシュしてまた新たな気持ちで頑張ろう。」と決意していました。

 

しかし、休暇を消化していくと、だんだんと不安な気持ちとゆううつな気分が僕を襲ってきました。

 

休暇が終わった次の日の朝、なぜかあんなにできずにいた電話を上司にすんなりとしていました。

 

なぜできたのか未だにわかりませんが、「熱があり体がだるいので休まさせてください。」と伝えました。

 

上司から何を言われると思えば、「休みではしゃぎ過ぎたか(笑)、お大事な」との一言。

 

まさからの一言で少し罪悪感があったのを覚えています。

 

「よし、休んでまた明日からだ、、、」

 

それから気付いた時には、一週間も休んでいました。

 

ついに僕は仕事に行けなくなっていました。

 

こういう時はどうしたらいいのか、わからずネットで検索し、近くにある病院の精神科を受診しました。

 

僕は行くことは、なんとも感じなかったんですが、誰も言わず一人で解決しようと思っていました。

 

事のいきさつを説明し、冒頭に書きましたが「適応障害」と診断されました。

 

診断されたことで、妙に納得したのと安心したのを覚えています。

 

 

適応障害になりやすい人

 

先生からは、僕自身の性格のことも少し話すと、「ストレスに弱い人や、傷つきやすい人、完璧主義な人になりやすいと言われているよ、あなたはまさにその通りだね。」

 

「あとは自分で意見を言えず、溜めてしまう人。ストレスは吐き出さないと、いろんなところに症状が出るよ。」とも言われました。

 

今ならこえをだすことができますが、当時の僕は誰かに頼ることをしていませんでした。

 

でも、きつかったり、辛いなら声を出せば、周りの人も悪魔じゃない限り助けてくれるはずです。

 

声を出したら迷惑かけるとか申し訳ないって思うかもしれません。でも、そんな我慢して辛い姿を見るより声を出してくれたほうが嬉しいし、助けることもできます。

 

周りのサポートはおおいに受けるべきだと僕は思います。

 

関連記事:休んだって辛くたって何度でも立ち直れる仕組みを作りたいと思っている - ぶらんちちゃんねる

 

適応障害の治療方法

 

先生からは、原因となっているストレスを減らそうとのこと。

 

その原因は、「おそらく上司との関係なのかな。部署を変えるか休職して距離を置くか、退職するか、いったん環境を変えたほうがいい。」と言われました。

 

あとは、「不安だと思うけど、薬を飲みながら対処していくこともできるよ。」とのことでした。

 

「ここまで症状が出ているから、薬を出すけど、本当につらくなったら飲んだ方がいいけど、なるべくなら飲まないほうがいい。薬に頼るより、あなた自身の自然治癒力で治したいし、あなた自身のためでもあるよ。」

 

僕は、先生に話をしたのもあってか、自然と涙が出ていました。

 

しっかりと治療していこうと決意しました。

 

会社への報告と休職を決意

 

診療を受けながら、まずは会社に報告をと思ったのですが、仕事に行けなくなっていた僕は、どうしたらいいかと考えていました。

 

先生は、「社長と上司に病院に来てもらって病状を理解してもらい、環境を変えるなどの対処してもらった方がいい」とのこと。

 

このままでは、どちらにせよまずいと思い、上司を通して「社長と上司に病院に来てほしい」と意を決して、伝えました。

 

病院に来てもらって以降は、しばらく上司とは接近せず、距離を置くことになりました。

 

数日後、改めて社長に報告すると、「病院に行く前に相談してほしかった」と悲しながらに言われ、「本でリフレッシュできるからわからないけど、もしよかったら」本を渡してくれました。

 

 

 

 

 
内容はあまり覚えていませんが、社長自身も、僕に何とかして元気になってもらい、また仕事に復帰してもらたいとの思いが込めてだったんだと思います。
 
 
そんな思いも重なり、僕は復職を目標に、身体を休め休職しようと決意し、社長に報告し、手続きを踏み、了承を得て3ヶ月休職することになりました。

 

休職中はやりたいと思ったことを素直にやりました。

 
当時彼女だった、今の奥さんと一緒に旅行したり、友達と遊んだり、家で好きなテレビや読書をしたり、仕事のことを一切考えず過ごしながら、病院を受診する毎日を過ごしていました。
 
両親には、「適応障害」のことは話をせず、仕事を休むことだけを伝えましたが、「ゆっくり休みなさい。」と暖かく見守ってくれました。
 
 
やりたいことをやると不思議で、あんなにも落ち込んだ状態から、活気が出てきて少しづつ元気を取り戻すことができていました。
 
 
何度か仕事のことがよぎり、不安で薬を飲もうかと思いましたが、一度も飲まずに過ごすことが出来ました。
 
 

休職から復帰するも退職を決意

 
休職から3ヶ月経ち、不安もありましたが、以前と比べると、むしろ復帰ができて良かったと思いました。
 
元の部署ではなく、違う部署でまずは1ヶ月仕事をして、心の状態を落ち着かせていこうと配慮してくれ、それから徐々に元の場所に復帰という流れになりました。
 
上司とは、なるべく距離を置き、挨拶を交わす程度でした。
 
違う部署での仕事は、僕に合っているなと感じる部分が多くありました。
 
できたらこの部署で仕事していきたいと思いもありましたが、人員の関係で難しく、1ヶ月を過ぎ、落ち着きを取り戻した僕は元の部署に復帰することになりました。
 
復帰後は、営業はせず、事務処理や資料作成などのデスクワークを中心に仕事していました。
 
そこから少しづつ、上司との距離は増えていきましたが、以前のような関係ではなく、良好な状態を保っていました。
 
しかし、部署がいったん別の地域に移転することが決まり、僕は転勤するか決断を迫られていました。
 
社長に相談し違う部署での仕事を提案しましたが、誰かを辞めさせなければならないとのこと、地元で頑張る決意で就職したのと、また新たな環境での仕事で、「適応障害」が出てきたらと思うと不安もあり、退職を決めました。
 
 

休むことは悪くないしSOSを誰かに伝えてほしい

 
仕事をしていれば辛いこと嫌なこともたくさんあるでしょう。でも大抵の人は我慢してやり過ごそうとしますよね。それが当たり前のように。

 

責任があるのかもしれないし、立場があるかもしれない。様々な理由があるでしょう。

 
間違えてもいいし、ミスして怒られたっていい。
 

誰もが欠点を持ってるから大丈夫だし、治そうとするのも大事だけど、それと上手く付き合って改善していけばいいいと思うんです。

 
人間は完璧じゃない。
 
だから体のSOSを無視しないでほしい。
 
体が壊れてからじゃ遅いです。
 
僕は昔から相手のことばかり考えて生きていました。
 
それは今も変わりありません。
 
少し違うのは自分のことにもっと目を向けてもいいんじゃないかと考えるようになったこと。
 
なりふり構わずではなく、自分が思ったことや感じたことを素直に発信することが必要なんだなと。
 
 
そうすると自然と心が楽になりました。
 
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最後に

 
退職後は、別の業種で仕事を経験したのち、現在は介護職員として働いています。
 
適応障害」になったことで、人一倍、心身の面での体調管理に気を付けるようになりました。
 
 
今では、症状もなく落ち着き、仕事に取り組むことができています。
 
これも周りのサポートのおかげです。
本当に感謝しています。
 
長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。