休んだって辛くたって何度でも立ち直れる仕組みを作りたいと思っている

スポンサーリンク

この記事をシェアする

 

f:id:branchchannel01:20180824174659p:image

 

  

トレーニングばかりじゃ疲れるので息抜きも必要だし、実際に動かなきゃ始まらないので、上手くバランス取りながら生きていけばいいかなって思います。

 
動くか動かないのは自分との戦いみたいなもんで、誰かと勝負することじゃないし、急かしたりやらなきゃいけないものでもありません。


当たり前なのかもしれませんが、こんなに大変なのかって想うことがあったので書きました。

 

 

 

大人はいろいろ背負いすぎ

 

大人だから自分で自立してきちんと物事の善悪を考え責任を持たなきゃいけない。

 

大人だからの一言でなんか背負うものが多いなと思うのは、ハードな気がするのは僕だけですかね。

 

これにさらに、

 


・仕事

・お金

・家庭

 


きりがないけどたくさんありますよね。

 

大人になるとこうもいろいろと背負っているんですよね。

 

子供のころは純粋だったはず

 

子供はただ真っ直ぐに前を見つめて歩き続ける。

子供のころであれば、夜暗くなるまで遊んだように夢中になれるんです。

 

どこがゴールかもわからないけどゴールがあることだけは信じて突き進む。

 

子供の頃、暗くなってまで外で遊んでいた僕はそれはもう楽しくて楽しくて。時間を忘れて没頭していました。

 

自分の頭の中でこうやったら面白いかなとか楽しいなとか、いろいろ考えて実行して検証しての繰り返しを自然としていました。

 

ブランコに乗りながら、いかに勢いをつけたまま乗り続けることができるのか。

 


滑り台ではいろんな滑り方を試したり、シーソーでは勢いよく飛んで片側に乗っている人を驚かせたり。

 


あとは虫や自然の命の尊さを知ったり。

 

ごく当たり前に自然の中で生きてきて、ずっとその場にいたいと思っていたのに、いつからか他のいろんな刺激を受けて流されて、気づいたら動けなくなっている自分がそこにいました。

 

それは大人になったからだと一言で片付けてしまえば、動かなくていいし、どんなに楽なんだろうと感じたこともありました。

 

でもそうじゃなくて、大人になっているからこそできることがあるんじゃないかと考えるようなりました。

 

大人でも純粋な気持ちを持つ人は一様に輝いています。人生を楽しんでる人はみな純粋な気持ちをどこか持ち合わせています。

 

大人になると多くのことを経験して「これは違う」とか「これはやめておこう」とか挑戦すらしない人もいます。

 

ゴールが実は近くにあるのにやめたりしますよね。

 

大人には時間がないからでしょうか?

それとも背負いすぎだからでしょうか?

 

効率を求めすぎな気もします。

 

もっと純粋に突き進めばいいじゃないですか。

 


周りの声をかき消すくらいの勢いで歩けばいいと思います。

 

想いを口にしなくなってきている

 

想ってることがあるなら口にするべきだと思います。

 

「こう思ってるのに」とか、

「こうすればいいんじゃないかな」とか、

 


あなたにしかない考えがあるはず。

 

同じ事でも同じ言葉でもあなたから発する声は誰一人として同じ人はいません。

 


想いを口にしないのは非常にもったいないと僕は思います。

 

 

子供のころは、「嫌なものは嫌」「好きなものは好き」いう感じで思ったことはすぐに口にして言えたけど、大人になって言えなくなったって人もいます。

 

大人になると想いを口にすることで喧嘩したり無駄な衝突を避けたりするからでしょうか。それともそんなわがままは通用しないからでしょうか。

 


きちんと考えてとクッションを置きすぎるが故でしょうか。言いたいことが言えなくなった…僕はまさにそうでした。

 

 

社会人だから言わないといけないかもしれない。

 


会社に勤めてる以上は責任もあるでしょう。でもその前に一人の人間です。

 

中にはどうしても言えない人もいます。それが理解できなくても、その気持ちがわかるだけでも違います。

 

僕も以前に比べれば言いたいことを少しずつ言えてきてますが、言いたいことをきちんと言える人が凄いと思ってます。

 

 

辛いなら辛いと声を出そう

 

仕事をしていれば辛いこと嫌なこともたくさんあるでしょう。でも大抵の人は我慢してやり過ごそうとしますよね。それが当たり前のように。

 

責任があるのかもしれないし、立場があるかもしれない。様々な理由があるでしょう。

 

でも我慢した先の何を求めているのでしょうか。

 

達成感?

それは我慢しないと得られないもの?

 

我慢しなくても達成感は得られますし、我慢を正当化して美徳にしてるとしか思えません。

 

自分の子供に置き換えて考えてみて下さい。

 

僕は子供に我慢は覚えてもらいたいけど、我慢させたくはありません。

 

子供に我慢させる人生をあなたは送らせたいですか?

 

きつかったり、辛いなら声を出せば、周りの人も悪魔じゃない限り助けてくれるはずです。

 

あなたは優しいから声を出したら迷惑かけるとか申し訳ないって思うんだろうけど、我慢して辛い姿を見るより声を出してくれたほうが嬉しいんですよ!

 

 

 

 

声を出しても助けてくれないならその人の関係を考えたほうがいいでしょう。

 

 

手を差し伸べてくれる人を探そう

 

想いを出していこうとか辛いなら声を出せとか言われても難しい人もいるでしょう。

 

それなら一度、自分に問いかけてみてください。

 

自分の想いや声は自分が一番知ってるんだからそれを紙に書いたりこの人なら言えそうだと思う人に伝えてみてください。

 

それをするだけも全然違います。

 

周りにいないならネットの相手でもいいと思います。目に見えないので言いづらいこと言えるかもしれません。

 

まだ落ち着いている場合じゃない

 

落ち着くのが悪いなんてこれっぽっちも思ってません。安心を与えるという意味では落ち着いた生活は必要だと思います。

 

慌ただしい世の中だからこそ、安心や安全が叫ばれて、落ち着くのはむしろ普通のことですしね。

 

僕が落ち着いている場合じゃないのは、やりたいことができていないから。ただそれだけです。

 

落ち着いちゃうとそれを守ることばかりに目が向いて、自分のやりたいことになかなか取り組めないんですよね。

 

なかには守りつつ攻めている人はたくさんいると思いますが、僕はそこまで器用じゃないので、上手く立ち回ったり、何かをこなすのが人より下手なんですよね。

 

だから上手く出来る人や立ち回れる人を見ると羨ましいし、凄いなと思います。

 

落ち着くことって命を守ることなのかもしれません。

 


生きるために衣食住を確保し、自分や大切な人の生命を守ることは本能的なんだと思います。

 

 

一歩を踏み出したことで広がる世界

 

だからこそ僕は新しい一歩を踏み出すために動きました。今までの自分じゃできていなかったので、今回勇気を出して動いてみました。


歩みは小さいかもしれないけど、僕にとっては大きな前進であることは間違いないです。

 
動かないとわからないことだらけで、動いたからこそわかることがたくさんあるんだなって思い知らされた気がします。

 

僕は自分の体や心が辛くなった経験をしているので、人に手を差し伸べる人になりたいと思っています。

 

話を聞くのもそうだけど、具体的にお金に関わることもです。

 

少なからずお金があれば、事足りる世界だから、どうやって解決していくかも相談できる場を作れればと思っています。

 

これは僕自身の勉強でもあるし、相談してくれる人自身のためになると思ってます。

 

休んだって辛くたって何度でも立ち直れる仕組みを作りたいと思ってます。

 

感情を無視して何かに取り組んでも良い成果は出ないし、心が楽しくなきゃ何やっても楽しくないですからね。

 

僕で良ければ、お問い合わせでもSNSでのメッセージでも受け付けているので連絡ください。